上の娘が3歳4ヶ月、下の娘が8ヶ月の時に、再び娘とセブ島に戻りました。
前回の反省を活かし、セブ島到着が早く乗り換えがスムーズな航空会社、ルートを探しました。
その結果、国内線で関西空港まで移動し、フィリピン航空でセブ島まで直行の経路を選択しました。
ちなみに、フィリピン航空で、福岡ーマニラ、マニラーセブ島もスムーズでした。
今回は大人1人に対し、娘が1人増えています。なので、荷物の量と内容について、何度も見直しました。最初は、手荷物を少なくして、子どもの2人の世話に集中し、荷物の大部分は配送しようと考えました。
しかし、セブ島の配送事情を調べてみると、当時は、荷物は自分で郵便局まで取りに行かなければならないとの事でした。子ども2人を連れてタクシーを拾い、運転手に待ってもらって荷物をトランクに入れる…
「果たして荷物がトランクに入るのか?」
「私の英語力で運転手さんにイレギュラーなお願いができるのか?」
と考え、シュミレーションした結果、配送はせずに、4ヶ月分の荷物を飛行機に乗せて行こう!と判断しました。
そして、20kgの荷物を2つ作りました。荷物を軽くするため、紙オムツではなく布オムツを選択し、自炊を考えていたので調味料や米等、食料品をいれると、荷物の半分を占めました。今回も、ベビーカーではなく、抱っこ紐を選びました。
フィリピン人が皆さん親切で、何度も助けて頂き、無事に二度目のセブ島入りを果たすことができました。
二度目のセブ島での生活
幼稚園は、セブシティのバニラッドにあります。幼稚園から徒歩1分にあるアパートに拠点を置き、
新生活がスタートしました。
フィリピン・セブ島の幼稚園
私が選んだ幼稚園は、シュタイナー教育を取り入れています。インターナショナルスクールではありませんが、フィリピン人だけでなくアメリカ、スイス、ドイツ、中国、韓国、日本人の園児もいました。
園では、英語を使用します。時々、セブアノ語(ビサヤ語)や園児の母国語の歌に触れたりもしました。先生方は、声を荒げて子どもたちを叱ることがなく、自然のものを教材として使用しています。歌も全て先生の生声です。遊具も手作りのものばかりです。
テキストがなく、物語も先生が創ります。
手作り人形を使って、子供達に歌を交えて語りかけるのです。
曜日ごとにテーマカラーが設けてあり、先生方は手染めのカラーエプロンを使用します。
先生方が落ち着いているので、子どもたちも安心して園で過ごします。
その日食べるスナックを子どもたちが作ることもあります。
保護者やゲストが座る椅子から眺める園庭は、緑で溢れていてとても癒されました。季節毎の行事も大切にします。ハロウィンは、手彫りのジャック・オ・ランタンを製作しました。クリスマスは、子供達と手作りで準備をしました。夕方からランタンの光に囲まれたイベントが行われたこともありました。
どの行事も派手ではありませんか、゙丁寧に迎えます。娘をさし置き、私が幼稚園大好きになりましたので、朝8時から午後3時位まで、平日は可能な限り園で過ごしました。
下の娘も週2回ベビークラスに参加していたので、私は、上の娘のクラスに入り、先生方のお手伝いをさせていただいたりしました。
自然に浴びる英語のシャワーが私にはとても心地よく、シュタイナー教育にも興味がありましたので有り難い毎日を過ごしました。
先生方と食べるランチの時間も、私は大好きでした。
私達は弁当を持参し、先生方はフィリピン料理を買ってきたり、持参したりします。
交換して味付け等、情報を交換するときは、自分の英語スピーキング力のなさを痛感しました。
アパートにはたくさんのスタッフが常駐しており、全員、娘たちに気さくに話しかけてくれ、遊んでくれました。アパート内にも子どもが走り回れる広場があり、娘たちは、セキュリティの男性から自転車に乗せてもらったり、絵を描いてもらったりと皆さんから可愛がってもらいました。
新生活が始まって数日経ったある日、1人のフィリピン人女性が部屋を訪ねてきました。
彼女は、
「近所の人から日本人女性が小さい子ども2人を連れて生活している。大変そうだと聞いた」
と、お手伝いさんになると、営業に来たのでした。
これは、自分の英会話トレーニングにもなるいい機会だと思い、お願いすることにしました。
お手伝いさんを雇うことは、日本では考えられない贅沢ですが、彼女の存在はとても助かりました。掃除や洗濯、下の娘のお世話を中心にお願いしました。特に助かったのが、新生活が始まって困っていた、シャワータイムです。まだ座れない下の娘と上の娘を同時に入れるのはとても困難でした。
また、時々、フィリピンスイーツやご飯を教えてもらったり、フィリピン人同伴でないと危険な場所に連れて行ってもらったりもしました。
彼女にジプニー(公共バス)の乗り方も教えてもらい、以来タクシーよりも利用するようになりました。
そんな時、幼稚園横に保育園がオープンしました。
子どもを預けている間に、英会話レッスンが受けられること、速いWifiが使えることが私にとって魅力的で、お手伝いさんには事情を理解してもらい、保育園に娘を預けることにしました。朝8時から夜6時位まで、下の娘は保育園で過ごし、上の娘も幼稚園終了後は保育園で過ごすようになりました。
私は、保育園も大好きだったので、幼稚園終了後は保母さんやスタッフと一緒に過ごしました。
保母さんやスタッフは、20代3人、30代2人と50代2人で、とても話しやすく私にとって妹、友人、母親的存在となりました。。彼女たちに、セブ島の流行、子育てや暮らし方など教えてもらい、ますますセブ島が好きになりました。
また、セブに来る前には、「洋服は着古したものを持参しなさい、日本人はリッチだと思われているから。」と、アドバイスを受け、従いました。ところが、実際は、皆さん洋服等たくさん持っており、着古した服を着ている娘たちに同情して、子供服を分けてもらいました。
以前は、「私1人で子ども2人を育てなくては。守らなくては。」と気を張って考えていました。しかし、実際セブでの生活を始めると、周囲の皆さんが優しい言葉や手を差し伸べてくれ、1人ではないと気付かされました。
「子連れで海外生活なんて無謀だ」と思っていました私ですが、周りのサポートのおかげで、肩の力を抜いて、とても充実した毎日を送ることができました。
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